万が一、友達と来ていたら、その友達のことはなおざりにしていたことでしょう。
それくらい魅力的な場所でした大阪ええ。
九度山駅から天王寺駅まで約1時間。
やってきました大阪だあ!!
大阪城に行く前に、周りの史跡を歩いていこうじゃないか!
まず目指すは天王寺公園内にある「茶臼山」です。
この公園見事に有料なので(大人150円)、茶臼山のために入園料を払う。
河底池にかかる和氣橋を渡るともう茶臼山!
冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村がここに布陣しました。
真田幸村VS徳川家康
かつてここに真田幸村が…!いっぱい空気吸っとこv
一人山頂にてエンドレス深呼吸を開始する。誰もいなくてよかった!
公園を出て、次は「一心寺」に向かいます。
あのう、確かに行ったんですけど…。お墓だらけで(当たり前だ)、お墓を興味本位で撮影するのはちょっと気がひけたので断念しました(超チキった)。
徳川軍の武将「本多忠朝」のお墓が目的だったのに。
本多忠朝は冬の陣の際に、酒に酔っていたため真田軍に惨敗を喫したのです。
家康にそれを叱責されると、忠朝は汚名を雪ごうと夏の陣で奮戦し、壮絶な最期を遂げました。
早くしないと大阪城が閉館してしまう!兜を被りたいのだ!
と、思いながらもお次は「安居神社」に向かう。
松の木の下で休憩していたところを、討ち取られました。ゆっきゅん…。
安居神社の「本殿」です。やたら猫がいた…。こえーよ。
後で知ったのですが、菅原道真もここで休んだらしい。
そのため「安居天満宮」とも呼ばれるらしいです。多分↑これが安居天満宮。
菅原道真関連は大宰府天満宮といい、何?「天満宮」がつくの?よくわかんないんだけど。
「いかん!このままでは大阪城が閉まる!もう史跡巡りは後回しだ!」
地下鉄で「谷町四丁目」まで行き、ソッコー大阪城へ!
わーわー!勝ち鬨をあげろおおおおおお!!!!!キャッホーイ!!!!
これは攻められねえよ。何これ!
だんでらいおんさん曰く
エレベーターがすごいとのこと。
「何だろう…?エレベーター金ピカとかかな」
エレベーターに乗り込む。
「(えー!金ピカではないのか。別に普通…。)」
↓
約7秒後
「(な!?何ーー!?これか!これのことだな!確かにこれはびっくりだ!)」
個人的にだんでらいおんさんがびっくりした理由を突き止めました!
多分あってる…と思われ。
ゆっきゅーーん!超カッコイイ!ああもう武将最高!
ビルがない時代の景色はきっともっと絶景。
さあ!自分の写真を撮りに行こうじゃないか!
階を降りると発見した!HPで見た兜たちだあ!
……。
…………。
ちょっやっぱ恥ずかしい!
今まで大阪城見て思ったけど、やっぱ一人で来とる人おらんがや!
うわあーしかも写真撮るための別スタジオとかあると思ったら全然ちゃうがや!
超順路に沿ったところに……!!!!めっさお客遠巻きから見とる!自分たち兜被ってみたいんだろ?何様子見してんだよ!
兜被る気ないならさっさとどっか行ってよ!(叫)
私頼み辛いじゃんかあ!!!!
くそ!見てろ!私のゆっきゅんへの愛はこんなとこでくたばらねーよ!
「幸村でお願いしまあすv」
やっちゃったんだぜ☆
なんか気分高まってきたなあv
↑ポーズ決めだした人
「ゆっきゅんのお通りだあいv」
やっと見つけた日本人に写真撮影を頼み、大阪城見学は終了しましたv
(本気で日本人いなかったです。みんな中国人とか韓国人。本当に孔明の罠かと)
たこ焼きは大阪城内の売店で10個400円で売ってました。安っウマー!
そして空が暗くなった頃、残りの史跡巡りを再開するのでした…。
「玉造稲荷神社」
もう帰りたい…。夜の神社は無理…。
「秀頼胞衣塚(よなづか)大明神」
へその緒や胎盤が埋まっているそうです。
とてもじゃないけどこんな暗い中、鳥居をくぐる勇気なんてないしいらない。
今頃恐怖が…。よく行ったな自分…。
「三光神社」
えーこれ行くの?でも境内にゆっきゅんの銅像があるみたいなんだよなあ…。
ゆ、ゆっきゅん…。
いきなり発見してしまったときの怖さは尋常じゃない!
い、勇ましいよゆっきゅん…。
よし撮れたからさっさと出よう!
「真田の抜け穴」
銅像の隣にありました。冬の陣で作った地下道とされています。
さあ早く出よう!
「心眼寺」
真田父子を弔うために建立された寺だそうで…。へえーもう閉まってるや。
さりげに扉は六文銭!
帰りは満員電車に揺られ帰りました。
わかったこと:やっぱり日帰りはよくない。落ち着いて歴史を楽しむべき。
電車での移動以外、一人競歩で移動したようなものです。
人間の移動スピードで時間を節約するのは体力的にも精神的にも疲れる。
今回の戦利品☆部活で着ていこーっと。